受験生にも役立つ
保護者のための大学受験講座
Epigram001
「お前に受かるはずがない」は、言ってはならない!

つい先日、ある受験生が「京都大学を目指したい」と宣言しに私の許に訪れてきました。よせばいいのにその受験生は学校の教師にもそれを告げてしまっていたのでした。で、私は間髪を入れず、「あぁー、言われたでしょ、お前に受かるはずはない、って」。その受験生曰く、「はい、名大すら受かるレベルにないのに、何が京大だ、今のままでは絶対に無理、第一お前は… (以下略)、などと言われました」、と。その受験生は、半泣きになり、どうしてそこまで言われなくてはならないのか、と思ったみたいでした。日頃は、大志を抱け、未来の目標を持てだの、君たちには無限の可能性があるなんぞと、散々煽っておいて、いざ一念発起すると「お前には無理!」では、ダブルスタンダードもいいところですよね。
なぜ大人は若者に、いや年上や先輩の者は年下や後輩の者に向かって、「無理!」って、言いたがるのでしょうか? ま、恐らくそれが彼らの「義務」だと思っているのでしょう。「無理」と言ってあげることこそが、今後、勘違いの人生を歩まずに済む正しい助言なのだ、と。皆さんも言われたことがあるのではないですか、職場で、会社で、様々な組織で。いや義務ではないのかも知れません、ひょっとすると、自分にはできそうにもないことを言われて、おのが防衛機制が働いだけのことかも知れません、「抜かれたらどうするのだ?」、ということでしょうか。
中学校2年生くらいから高校2年生に掛けて、彼らは過酷な競争に晒されます。否が応でも己の潜在的能力を徐々に自覚せざるをえなくなるわけです。「坂本花織にはもうなれない」「大谷翔平には到底なれないな」「藤井聡太は天才だよ」。私も思いました、詩人ランボーは16歳で「見者の手紙」をしたため、17歳で『地獄の季節』かよ、俺、終わったな、って。
しかし、いやだからこそ,自分を見定めて、崇高な目標を立てることが、なぜいきなり「無理!」って言われなければならないのか? 嫌というほど打ちのめされているのに、それに輪を掛けて、「無理!」はダメです。 だから私は受験生に言うのです、「友人に語ってはならない、勿論、教師にも、ましてや保護者には。必ず馬鹿にされる、お前には、無理、って」。
だから保護者の皆さん、どうか我が子を信じてあげてください。守ってあげられるのはあなたしかいない。無条件でお子さんを信じてあげられるのは、あなただけなのです。「下宿したい」「留学したい」「私立大学に行きたい」「医学部を目指したい」「東大が夢だ」。破天荒に見えるその思いこそ、あなたが信じてあげなくて、一体だれが信じてあげられるというのですか?